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苗場'06

3年ぶりのスキー場。長女が生まれてからスキーから足が遠のいていましたが、3連休を利用して久しぶりに行ってきました。といっても、子供二人のの雪遊びが主体です。
行き先は新潟県湯沢町の苗場スキー場。
土曜日の午後になっていくことを決心し、Webでホテルを予約、16時に出発。ホントは15時に出られたのですが、家内のコンタクトレンズが無くて急いで眼鏡屋さんへ行き調達。
京葉道、湾岸道を快適に飛ばします。首都高の江戸橋あたりから少し渋滞しましたが、2時間後には関越の三芳PAに到着。次は上里SAで夕食。(あまりおいしくなかったー)
いつものとおり、月夜のICで降りて17号を山に向かって走ります。道路わきには雪がたくさんありますが、道路は除雪完璧です。雪が多いのに除雪されていて助かります。作業は大変でしょうね。
温泉街を過ぎて三国峠にさしかかると雪が降り始めます。道路も真っ白に。
息子は助手席で寝ているかと思いきや、目がパッチリ開いてます。はじめての雪にかなり興奮気味です。
��ホントは3歳のときに志賀高原に行っているけど、ほとんど忘れているらしい)
無事、トンネルに到着。坂を下り一気に苗場へ。
21時に到着。いいペースでした。

翌日日曜日はずっと雪でしたが、ちびっ子ゲレンデで一日遊びました。午前中はそりとスノーバイク?のような乗り物で遊び、午後は板をかりて滑らせてみました。ちゃんとスキーを履くところ、片足での歩行、両足での歩行。坂の上り方を一通り教えてから、さあ、斜面にチャレンジ。しかし、案外転ばすにちびっ子ゲレンデのスロープを降りてきます。怖くて泣くかなーと思いきや、なんのなんの上出来です。
これも自転車で鍛えているバランス感覚のせいでしょうか?(違うなー)

最終日の月曜日は午前中だけ滑ります。リフト券を買って、初心者ゲレンデに挑戦です。
まずは止まり方を教えます。スキーをハの字にしてとまる。なかなかうまくできません。
何とか手伝ってあげてやっとリフト1本を滑り終えました。
しかし2本目は早くも手が離れ、ひとりで何とか降りてくるようになりました。
まだ、両足への荷重が均等にできなくてまっすぐの直滑降もちゃんとできていませんが、滑って降りてこられるだけでも今回は満足です。後味が悪くならないように良いとこで切り上げます。
そして私だけゴンドラで上に上がり、滑ってきました。苗場の大斜面に久しぶりに挑戦。しかし、転びはしませんでしたが、息が上がり、途中で3回も休むという体たらく。そのままw杯コースを無謀にも下りてきましたが、もうぼろぼろでスキーになってません。体力が無さすぎです。
結果、このゴンドラ1本で満足してしまいました。

帰りは猿ケ京温泉センターで入浴してから、夕食を月夜野IC手前の「香華」というラーメン屋でとりました。この旅行で一番の食事でした。(あれ、ホテルの食事はどうだったの???)

最後に、スキーを一回もはかず、長女の遊び相手と面倒を見てくれた妻に感謝をしなければなりません。
ありがとうと(一人で滑って)ごめんなさい。


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