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房総ポタリング13

��2月最初の日曜日、二日は自転車学のみなさんと房総ポタリング。いつも通り8時に蘇我駅集合。8:30に出発。


赤道を通り泉自然公園へ。自転車は公園の中に入れず、外側の道を一周する。入り口のもみじが綺麗だった。
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川伝いに印旛沼まで走る。結構適当に道をたどったので効率悪い。真ん中を流れる鹿島川を渡れない場面もあったが、見事な田舎風景を堪能できた。誰かが行
言っていたがとても千葉市とは思えないくらいの風景がずっと続いた。サイクリストでないと楽しめない風景である。

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途中、地域の子供達が凧揚げをする風景に出会った。近くには寄れなかったが沢山の子供達が凧揚げを楽しんでいた。多くの大人がそれをサポートしていた。そういうことがこの地域で続いていることがうれしい。
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佐倉にあの城跡に登った。これは想定してなかったもの。走っていたら急な登り坂が右手に見え、そして城跡公園の看板があった。登らない話はない。先導していた植木さんも文句はいうまい。
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それから物井の駅のそばの総武鉄道の廃線跡の鉄橋跡も偶然発見したもの。明治の造作が現代に残っている。目を閉じると蒸気機関車が走る様が見えてくる。
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印旛沼の風車も初めて見た。中も見学できる。足を風車の建物の中に入れると案内の人がいる。「質問は無いか?」と言うので仕方なく問いを出すと会話が始まり色々情報をもらった。風車の羽の布は羽に登って広げるとの事、大変だ。
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沼の周りのサイクリングロードを植木さんの後に着いて走る。ロードでくれば良かった。後ろを橋本さんがピタリとついているので途中で諦め切れるわけにもいかず、公園まで一気に走った。BD1ではちとキツかった。順天堂大学方面に向かう前に埋め立ててできた田んぼの中の直線道路で競争が始まった。周りはみなロード、かなうわけないのでゆっくり行く。競争できた人たちはとてもたのしそうだった。なかなかこんな道はないな。近所の自転車チームの練習場所になるのではないかと思った。

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昼食場所のレストラン、ホワイトハウスには学生さんがたくさんいたが、宴会場を使わせてくれたので16名全員でゆっくりすることができた。料理が出て来るのも時間がかかった。
料理は予想通り体育会系の学生向け。私の頼んだカツ定食はカツが二枚。普通大盛りだよね。
唐揚げ定食は順ちゃん定食と言うのだが意外と普通盛り。冷静にみれば多いと思うがカツ二枚程の衝撃はない。

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カツはころもサクサクで美味しかったが如何せん料が多く、一枚食べ終わったところで飽きてきた。そんなところに唐揚げ定食を食している内田さんから「少し交換しないか」との提案があった。僕の顔に書いてあったのか?ありがたく提案に乗り唐揚げを一ついただく。唐揚げにつけるタレが絶妙に美味かった。
今度家族で来たいと思った。
昼食後もう3時近く、天気も怪しくなって来た。予定通り成田に向かう。宗吾霊堂に寄る時間も無くスルー。成田駅前に三時半着。ここで帰途につく人と別れ、最後の目的地、成田空港近くのさくらの山に向かう。四時少し前に到着、20分程だけとなったが航空機の発着を真近の見る。さくらの山側は離陸する方なので大型機は迫力あるが、小型機ははるか上空に見えることになる。あまり満足できるものではなかった。の時間帯は到着便が多いのだ。到着便ははるか彼方に見えるのみ。

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4時15分に出発し、あっという間に駅前に戻る。下りは速い。
駅に行く途中でお土産を買う。和菓子屋さんで羊羹とどら焼き、子ども達が好きな物だ。
さらに名物の鉄砲漬けも購入。
しかしここまできたのに成田山にお参りしなかったのが残念。
次の機会にとっておこう。

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