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BRM510千葉200km(大子)その1

早く書き留めておかないと記憶が薄れる。
��時10分組のトップで出発した。しばらくは知り合いと走るつもりだったが、スタートしてこない。
仕方なく20キロ台前半くらいでゆっくりゆっくり進む。後ろから続く人たちもゆっくりゆっくりついてきた。ブルべ慣れた人ならスタートダッシュしていくはずだが、あり得ないスローペースでついてくる。こちらも初心の方なのか。
最初の信号で少し待って知り合いと前後して走るが、どうもペースが合いそうにない。
最初の坂で離れてしまい、あとはそのまま会う事が無かった。こう少し一緒に走るべきだったか、すこし後悔した。しかし、今日は速くゴールしないと帰りの電車に乗れないので急ぐ事にする(当社比)。
昔海水浴で何回か訪れた阿字ケ浦を通り、話題の原発の前を通る。
PC1までは海沿いの平坦なところを走っていくのだが、微妙に坂もある。風は西よりやや追い風気味なので速度30数キロくらいで飛ばしていく(あくまで当社比だが)。微妙にある坂ではたいてい速度が落ちる方が多いので坂でもどんどんパスする。30人くらいは追い抜いたか?
途中10人以上で固まって走行しているブルべ参加者の集団がいた。大型車などはパスする事が出来ず。クルマがストレスがたまっていたような場面に遭遇した。
これも初心の方が多かったせいだろうか、ばらけるよう声をかければ良かったと追い抜いた後で反省した。経験者が初心の方にアドバイスしてあげないといけない、僕も最初は初心ブルべライダーだった。

PC1ではウイダーゼリー買って、オマタにシャモアクリーム塗ってすぐに出発。今回は止まるたびにシャモアクリームをこまめに塗ったのでお尻は痛くならなかった。塗った後で手を洗わなければいけないので面倒だったが、痛みには変えられない。

PC2までも基本的に海岸沿いを進むが、やや横風がキツくなって来た。相変わらず大型ダンプや大型バスなどが多いので後続車を追い抜かせるのに気を使う。
追い抜けなくてイライラしていそうなときは、後ろのクルマに向かって手を挙げる。「追い抜け」の合図をするなど、コミュニケーションを図る事が大切だ。
大津港迄くると国道六号を外れてのんびり田舎道に入る。

踏切で待っていたときの風景
Img_8058

すぐにPc2に到着する。
どら焼きとコーラを飲む。ここからしばらく補給が出来ないのでパンを一つ買ってサドルバッグに押し込んでおいた。もちろんお尻のケアも忘れない。
��0分くらいの停止でスタートする。

ココからは山岳地帯、10%超のなかなかの斜度のところもあり正直キツかった。通過チエックのあるダム迄まずは頑張って進む。

つづく





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