ずいぶん前の話になるが8月のフリーダム朝練で落車・骨折し入院、退院しリハビリ中である。松葉杖で歩行がままならないので仕事ももう一ヶ月休んでいる。
先日自転車を預かってもらっていた自転車店に行きガーミンとパイオニアを回収してきた。自転車のほうはもう少し入院が必要。
最後途絶えたところが落車地点である。
長柄山へのつづら折りを上りきった先の平坦区間だったのだが、結構いっぱいいっぱいで前走者の後輪にハスってしまい左側に落車し腰の辺りを強打したらしい。
左足が痛くてすぐに起き上がれず、頭から血も流していたので後続の仲間がすぐに救急車を呼んでくれた。道ばたに抱えた運んでもらい横たわっていたが激痛で頭をあげられず。
擦過傷のところに仲間が水をかけてくれていたのは覚えている。
そのうち救急車がきて本納の長生病院へ。
レントゲンを撮って診察を受けたところ骨折だとわかった。
骨盤骨折であり、ひどい骨折ではないが軽くもないと先生にいわれた。完治するまでは三ヶ月から半年、痛みが消えるのも4〜6週間はかかるという。
仕事もちょうどこれから大変な時期に入るところだったが、左足の痛みでベッド上で全く身動きができなかったので、しばらく仕事は無理であると観念した。同時にブルベのSRもあきらめることになった。今年はいい調子で走れていたし、最後秋の300キロでSRを達成のはずだった。
やってしまったものは仕方ない。気持ちを切り替えていかに早く治していくか。まずは退院が目標だが、短くて三週間は入院が必要だろうといわれていた。
また幸いにも複雑に折れることはなかったので手術は必要ないとのこと。なので骨折はしているものの、からだにはギプスも何もつけていない状態。折れてるのにこのままでいいのかとも思ったが、腰の辺りを縛られるとそれはそれで面倒だとも思った。
とりあえず個室が空いていたので急ぎ入院の支度をしてもらって日曜日の夜から病院で暮らすこととなった。
骨折の痛みは寝ている分にはあまり感じないが足を動かすと激痛が走る、という具合だったのでおとなしく寝ている分には平和である。おとなしく、といっても寝返りができないので、ベッドに仰向けになってそのままにしているのもなかなかつらい。最初の夜は腰痛がひどくてあまり寝れなかった。
また、起き上がれないので、食事は寝たままでとれるよう、ご飯はおにぎりになっていたし、おかず類はすべて串刺しにしてあって、寝たままで食べられるように細工されていた。みそ汁はストローで飲む。
次は排泄が問題になる。
起き上がれないので小便は溲瓶にすることになるが、なかなか仰向けで寝たままで小便ができない。仕方ないので管を入れてもらい吸い出してもらった。その後、バルーンと呼ばれる管を通して尿を排泄することになり尿の心配はなくなった。
次は大便であるが、2、3日であれば問題はないが4日を超えると腹が張ってくる。しかし出る気配はない。ずっと寝ていると腸の動きが悪くなって出てこないのが普通なのだと看護師さんに聞いた。看護師さんに腹をさすってもらったりしたが効果なし。
見舞いにきてくれた妻が手の「便のでるツボ」を押してくれた。すると突然「グルグル」とお腹が鳴りだした。ツボの刺激で腸が動き始めたようであった。すごい効き目である。しかし、大人のおむつをしているがなかなかおむつにすることができない。
寝たままではどうしても下腹に力が入らないからである。
しかし、足が痛いのでベッドを離れてトイレに行くことはできない。しかしトイレに行かなければ便は出そうにない。決死の覚悟でトイレに行く旨看護師さんに御願いする。
トイレに行くにはまずは車いすに乗らなければならない。看護師さん三人にきてもらって体を持ち上げてもらって乗ろうとするが、少しでも左足に力が入ると激痛が走る。ちょうど足が攣ったようになってしまい、何も動かすことができなくなる、でも痛い、というデッドロック状態になる。元に戻すのも痛いし、進むのも痛い。意を決して車いすに無理に動かしてもらう。やっと乗れたがしばらくは痛みの余韻で車いすの上でぐったり。
落ち着いてから車いすを押してもらってトイレへ。トイレについてから便器に座るまでがまたひと騒ぎ。10分以上かけて、看護師さん三人に支えられて便器にすわれた。ここでひと休みしてから目的の動作を行うのであるが、恥骨部分がおれているので踏ん張ると痛みがあるし、そもそも便器に座っているのが痛い。うまく痛みが治まるように体を手で支えながら踏ん張るという、非常に体力を奪われる動作を行った結果、やっと所定の目的を得られたときは本当にほっとした。
しかしここからまたベッドに戻るのがまた一仕事。便器から車いすに乗り移るのに5分、車いすからベッドに戻るのに5分くらいかかった。その度に複数人の看護師さんにお世話になる。そんなめんどくさいことを嫌な顔ひとつせず手伝ってくれた看護師さんには本当に感謝した。
しかし、しばらく溜まっていたのでトイレが一度ですむはずもなく、この日は都合三回行くことになった。その度に看護師さんを集めてもらい、大騒ぎ?しながらトイレに行くというのは非常につらい動作であった。
そのあと三日くらい経ったところで一人でトイレに行けるようになり、すごく気が楽になった。とはいえ、痛いことは痛いので、一度トイレに行って帰ってくるのに30分はかかっていた。しかし、日が経つにつれて5分から10分で行って帰って来れるようになったときは、身体が治っていくのを実感した。
そのころから食事は寝たままでなく上半身を起こしてたべられるようになった。
食事は最初寝たままでとっていた。食べものは串刺し食といって、ご飯はおにぎり、おかずはすべて焼き鳥のように串刺しにしてあって寝たままでも食べる事が出来る。
先日自転車を預かってもらっていた自転車店に行きガーミンとパイオニアを回収してきた。自転車のほうはもう少し入院が必要。
最後途絶えたところが落車地点である。
長柄山へのつづら折りを上りきった先の平坦区間だったのだが、結構いっぱいいっぱいで前走者の後輪にハスってしまい左側に落車し腰の辺りを強打したらしい。
左足が痛くてすぐに起き上がれず、頭から血も流していたので後続の仲間がすぐに救急車を呼んでくれた。道ばたに抱えた運んでもらい横たわっていたが激痛で頭をあげられず。
擦過傷のところに仲間が水をかけてくれていたのは覚えている。
そのうち救急車がきて本納の長生病院へ。
レントゲンを撮って診察を受けたところ骨折だとわかった。
骨盤骨折であり、ひどい骨折ではないが軽くもないと先生にいわれた。完治するまでは三ヶ月から半年、痛みが消えるのも4〜6週間はかかるという。
仕事もちょうどこれから大変な時期に入るところだったが、左足の痛みでベッド上で全く身動きができなかったので、しばらく仕事は無理であると観念した。同時にブルベのSRもあきらめることになった。今年はいい調子で走れていたし、最後秋の300キロでSRを達成のはずだった。
やってしまったものは仕方ない。気持ちを切り替えていかに早く治していくか。まずは退院が目標だが、短くて三週間は入院が必要だろうといわれていた。
また幸いにも複雑に折れることはなかったので手術は必要ないとのこと。なので骨折はしているものの、からだにはギプスも何もつけていない状態。折れてるのにこのままでいいのかとも思ったが、腰の辺りを縛られるとそれはそれで面倒だとも思った。
とりあえず個室が空いていたので急ぎ入院の支度をしてもらって日曜日の夜から病院で暮らすこととなった。
骨折の痛みは寝ている分にはあまり感じないが足を動かすと激痛が走る、という具合だったのでおとなしく寝ている分には平和である。おとなしく、といっても寝返りができないので、ベッドに仰向けになってそのままにしているのもなかなかつらい。最初の夜は腰痛がひどくてあまり寝れなかった。
また、起き上がれないので、食事は寝たままでとれるよう、ご飯はおにぎりになっていたし、おかず類はすべて串刺しにしてあって、寝たままで食べられるように細工されていた。みそ汁はストローで飲む。
次は排泄が問題になる。
起き上がれないので小便は溲瓶にすることになるが、なかなか仰向けで寝たままで小便ができない。仕方ないので管を入れてもらい吸い出してもらった。その後、バルーンと呼ばれる管を通して尿を排泄することになり尿の心配はなくなった。
次は大便であるが、2、3日であれば問題はないが4日を超えると腹が張ってくる。しかし出る気配はない。ずっと寝ていると腸の動きが悪くなって出てこないのが普通なのだと看護師さんに聞いた。看護師さんに腹をさすってもらったりしたが効果なし。
見舞いにきてくれた妻が手の「便のでるツボ」を押してくれた。すると突然「グルグル」とお腹が鳴りだした。ツボの刺激で腸が動き始めたようであった。すごい効き目である。しかし、大人のおむつをしているがなかなかおむつにすることができない。
寝たままではどうしても下腹に力が入らないからである。
しかし、足が痛いのでベッドを離れてトイレに行くことはできない。しかしトイレに行かなければ便は出そうにない。決死の覚悟でトイレに行く旨看護師さんに御願いする。
トイレに行くにはまずは車いすに乗らなければならない。看護師さん三人にきてもらって体を持ち上げてもらって乗ろうとするが、少しでも左足に力が入ると激痛が走る。ちょうど足が攣ったようになってしまい、何も動かすことができなくなる、でも痛い、というデッドロック状態になる。元に戻すのも痛いし、進むのも痛い。意を決して車いすに無理に動かしてもらう。やっと乗れたがしばらくは痛みの余韻で車いすの上でぐったり。
落ち着いてから車いすを押してもらってトイレへ。トイレについてから便器に座るまでがまたひと騒ぎ。10分以上かけて、看護師さん三人に支えられて便器にすわれた。ここでひと休みしてから目的の動作を行うのであるが、恥骨部分がおれているので踏ん張ると痛みがあるし、そもそも便器に座っているのが痛い。うまく痛みが治まるように体を手で支えながら踏ん張るという、非常に体力を奪われる動作を行った結果、やっと所定の目的を得られたときは本当にほっとした。
しかしここからまたベッドに戻るのがまた一仕事。便器から車いすに乗り移るのに5分、車いすからベッドに戻るのに5分くらいかかった。その度に複数人の看護師さんにお世話になる。そんなめんどくさいことを嫌な顔ひとつせず手伝ってくれた看護師さんには本当に感謝した。
しかし、しばらく溜まっていたのでトイレが一度ですむはずもなく、この日は都合三回行くことになった。その度に看護師さんを集めてもらい、大騒ぎ?しながらトイレに行くというのは非常につらい動作であった。
そのあと三日くらい経ったところで一人でトイレに行けるようになり、すごく気が楽になった。とはいえ、痛いことは痛いので、一度トイレに行って帰ってくるのに30分はかかっていた。しかし、日が経つにつれて5分から10分で行って帰って来れるようになったときは、身体が治っていくのを実感した。
そのころから食事は寝たままでなく上半身を起こしてたべられるようになった。
食事は最初寝たままでとっていた。食べものは串刺し食といって、ご飯はおにぎり、おかずはすべて焼き鳥のように串刺しにしてあって寝たままでも食べる事が出来る。
ベッドをすこし起こして食べられるようになるまではこの食事が続いた。
車いすで移動が出来るようになって病室を大部屋に移った。食事も部屋のベッドでなく食堂のようなところでほかの入院患者と一緒に食べる事にした。
リハビリ
後で知ったのだが最近は手術や入院後の早期回復を目的にリハビリを早期に行っているらしい。私の場合は入院三日目、日曜日に入院したので火曜日からリハビリの理学療法士さんがやってきた。初日は状況を把握してもらい、どんなメニューを行うか教えてくれた。リハビリ用のゴムひもを貸してもらい、ベッド上で寝たままでも運動をすることが出来る。
毎日平日のみであったが午後三時過ぎに理学療法士さんがベッドに往診?に来てくれる。リハビリルームに行くまでは自分のベッドでリハビリを行う。自主練習はどれくらいやったのか、翌日のリハビリのときに報告する。なのでサボるわけにはいかない。
最初に行ったのは松葉杖を使う為の腕の筋肉を鍛える事であった。上半身を動かす事は問題なかったので、腕の裏側の上腕三等筋を中心に運動を行った。
その次は健康な右足のトレーニングをゴムを使って行った。寝たままだと日に1%づつ筋肉(筋力)が落ちるらしい。動かせるものは動かして筋力低下を防がなければならない。左足はまだあまり動かせないが、膝より下の筋肉は動かしても痛くないので下腿三等筋(ヒラメ筋)をゴムで鍛える。
車いすに座れるようになったら、車いすの手すり部分を両手で押し上げて体を上下させてやはり上腕三頭筋を鍛える運動と、車いすに座りつつ右足だけでスクワットをする運動をした。この頃はまだ左足側は動かすと痛みがあるが、うまく痛くない範囲で体を動かしていた。また痛みがあまりでないようにロキソニンを一日二回服用し、リハビリが十分にできるようにしていた。
右足一本でたてるようになったら車いすを離れて廊下の手すりにつかまり立ちして、右足スクワットをするようになった。
食事の前に運動するようにして、回数はそれぞれ百回づつ程度、サボらなければ一日三百回くらいづつ行った。
そんなわけでリハビリは順調に進み、松葉杖を使う事になった。最初はリハビリルームの平行棒で手で支えて前に進む練習をする。それが出来るようになったら松葉杖で歩く練習をする。最初は30メートル歩くのも大変だった。体重は脇の下でなく両手で支える。なので手のひらがとても痛い。それでも二日くらいすると大分いい感じに歩けるようになり、病院内の同じフロアを動き回る練習をした。週末明けに階段の上り下りの練習をして、外を歩く練習、坂道の練習をしたら「もう退院していいよ」ということになった。
まだまだ片足を上げたまま松葉杖であるくのでとてもしんどいのであるが、入院していても何も治療している訳でもないので退院し家に帰る事にした。
家族は不安なようであったが、もうこれ以上病院の生活に飽きた、食事も飽きて来たので翌日退院する事にした。
ということで入院は18日間であった。
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