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BRM604塩尻600はDNF

BRM604塩尻600は腹痛のため270キロ地点の塩尻でDNFとなった。

千葉の600は家族の予定のため出走できなくなったので別の600を探したところ、AJ静岡の塩尻600kmがあったのであまりコースのことは考えずエントリーしてしまった。
結果は半分もいかないところでDNFとなった。


静岡の朝6時スタートなので前泊した。

スタート地点である、「すんぷ夢広場」という日帰り温泉施設には仮眠できるスペースがある。リクライニングできる椅子に寝るというよくある健康ランドと同じ。ただしここには椅子ごとにテレビがついてて結構うるさかった。それよりも他人のいびきの方がうるさいのではあるが。
料金は金曜だったので入浴料700円とオーバーステイの1000円、タオルセットが200円で1900円で一泊できるのは嬉しい。
でも、なかなか寝付けず、うとうとしたくらいで5時に起床、すぐ準備して5:30からのブリーフィングに間に合った。
参加者は50人弱くらいか?この週末は各地で600ブルベがあったため、参加者が分散したのだろう。
ブリーフィング終わるとすぐ車検、AJ千葉ジャージを着て行ったので、車検の方はジャージいいですねー的な話をして自転車見てなかったり。。。
Blackburnのシートポストバッグを今回初投入した。日光で一度使ったが、ほとんど荷物が入っていなかったので、ブルベで本格的に使うのは初めて。

写真は帰ってきたときのもの

バッグはなかなかデカくていろいろものが入るのだが、いれれば重くなるのは当たり前。ダンシングが上手くできなくて困った。

バッグとサドルの接点に丸いプラスチックの部品があって、いい感じに滑るので余計にバッグが振れる。

この丸いプラスチック部品が滑らないように、ゴム板を巻きつけてゴムの滑らなさで振れないようにしたのだが、今度は振れの運動エネルギーがシートポストにまともにかかってしまい、キコキコ音がしてしまう。これも如何なものか。カーボンのシートポストだったから壊れやしないかと心配になった。

シートバッグは袋だけを取り出せるので便利であるが、あまり外す場面はなかった。いろいろな小物は結局リュックに入れておいたから。

スタートしてすぐに海に向かって走り降りる。海に向かっていくのは気持ちいい。

朝の海沿いの道は気持ち良かった、まだ天気も良くて青空と海、これ以上のものはない。
清水市の街中を通り、旧東海道的な趣のある道などを最初に走る。もっとゆっくり景色を楽しみたいものだが、最初は参加者が集団に成っているのでなかなか知らない土地で独りになるのも怖いので、ゆっくり楽しむのは次にとっておく。
最初は富士宮に100メートルくら登る、まだ元気。富士宮市街に入るとやはりといいうか、焼きぞばの匂いがした。できれば焼きそば食べたかったがまだ8時頃なのでお店は開いていない。
PC1からは裾野市との境まで650メートルくらい登る。この650メートルはこのブログを書きながら調べて初めてわかったわけで、初めての道だったのでどれくらいで登りが終わるのか見当もつかず、不安だったし、腰も痛くなるし、なかなか辛かった。
この後はPC2の御殿場までは下り基調&追い風で楽々だった。
というか、今回のブルベの前半の8割くらいは追い風だった気がする。こんなにも平地が楽だった、向かい風に困らなかったブルベはない。向かい風だったのは河口湖から精進湖くらいまでだった。
富士の裾野ではきっとよくあり当たり前の光景なのだろうが、陸上自衛隊の訓練が見えた。

それと富士山

PC2の後は籠坂峠まで登り。これまた長くて辛い。標高差670メートルもあった。千葉ではありえない標高差だ。
須走から峠までは自衛隊の車両とたくさんすれ違った。集団?で移動でもしていたのだろうか?
ほとんどが「96式双輪装甲車」と云うものらしい。8輪車で運転手はウインドシールド付きの運転台?で顔を台していて、車長はキューポラ?から上半身を出したまま走行していてとてもカッコイイ!
山中湖あたりで道ゆく観光のお姉さんが「きゃー、カッコイイ」と声かけていて、車長さんはそれに対して敬礼していた。

山中湖畔は平坦でしかもいい追い風で気持ち良く巡行できた、また富士吉田まではやや下りでここも高速で突破した。
富士吉田に着いて街中を走行しているとうどん屋が目に着く。昼はウドンにしようと適当に入ったお店にはブルベライダーの先客がいらしゃった。これまで何度か前後して走っていた二人組の方だった。
店内で少しお話させてもらったが、ブルベ界の重鎮と思われる方のようだった。

あまり時間も考えずグルメしてしまったが、後のことを考えたらもっと先を急ぐべきだった。
だらだら登る本栖道は向かい風で難儀した。
本栖湖はとても蒼かったのが印象的だった。


本栖湖から身延に降りるのだが、結果的にはかなりの距離と高度が下がった。特にウインドブレーカーなど羽織らなかったが、途中で冷えてきて、でも面倒だから最後まで降っちゃえ、と走り続ける。
でも、なかなか坂の終点は現れず、すっかり体とお腹が冷えてしまった。ちょっとお腹に異変の予感がしてきた。
事前にコースの内容を把握していれば防寒対策せず降りることはなかったはず。準備不足である。
なんとなくお腹が怪しいがなんとかPC3にたどり着く。ここではプリンだけ食べて先を急ぐ。ついでに蒸しパンを買ってこれは走りながら、信号で止まった時などに少しずつ食べる。

少し坂を登ったり降りたりを繰り返して市川大門で笛吹川改め富士川を渡る。南アルプス市、韮崎市を通り、国道20号に入って白州を通る。サントリーの白州工場、天然水のふるさとだ。

国道20号に出るとだらだら登りとちょっとした下りを繰り返してどんどん高度を上げていく。

途中、蔦木宿の道の駅で一旦トイレ休憩。しかしお腹は良くなる気配がない。でもなんとなくお腹が具合悪い。

さらにゆるゆると登って富士見峠に向かう。適当に田舎道で走りやすかった。

いつの間にか峠に到着していた。

諏訪湖のすぐ脇を走ったが、すでに夕闇の夜景。でも綺麗だった。
この辺りでは他のブルベの方と相前後して走った。塩尻峠に入る前のセブンイレブンで自主休憩。ここでもトイレに籠るがyほい結果は得られず。

塩尻峠を少し登って塩尻に入った。このころになるとだいぶ体も疲れてきて早くPC4につかないか、着かないか、あと何キロ?こればかり考える。
だいぶ思考がネガティブになっていた。
PC4の塩尻のコンビニの隣の休憩場で食事を取っていたら、激しくお腹が痛くなってきてトイレに数度駆け込む。ここで出し切っていけば!いけるぞと思った矢先、PCに待機していたブルベスタッフの方から、これから先は雨ですよー、と。一気にモチベーションが下がる。雨でまた腹冷やしたらやだな、トイレどうしよ、ここから先は山道ばかり(のはず)だし、やばい。という考えが頭の中を占めてきた。
もうだいぶ走った気がしたから、体も心配だし、近くには宿泊できるホテルもあるし、雨だし、ということでDNFを決断。
スタッフの方に申し出ると、DNFの先客がいて二番目のDNFとなった。
近くの塩尻のルートインに部屋を取り、風呂に入って体を休めた。

翌日はワイナリーに行ったり、コーヒーを飲みに行ったりしてから塩尻から輪行で帰宅路に着く。
駅には輪行の方がもう一名いた。聞くと同じく他のブルベでDNFし、輪行で帰るところだという。
特急あずさでは座席をご一緒させていただいた。相当な手練の方でブルベ、PBPなど色々貴重な話を伺った。
あっという間に新宿に到着し、現実に戻ってしまった。

おしまい

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