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初ハーフマラソン完走

谷川真理ハーフマラソンに出場し完走した。

ハーフマラソンの目標は1:50切りだったので惜しくも?目標に届かず。来月の大会で又挑戦しよう。

初めてのランニングイベントということで、そもそも参加するのにどうすりゃいいんだ?着替えとかどうすんの?音楽聞きながら走っていいのかしら?など。初心者ならではの疑問でいっぱいだったが百戦錬磨のランニングの先輩方にいろいろ聞いてなんとかなった。もちろん、ブログも参考にしたが、ランナーの皆さんって走った後に必ず打ち上げ?と称してガッツリ食べたり飲んだりしてる。ブログに必ずランニングの記録とともに何を食べたか書いてある。ふーん、そうなんだ。そういうもんなんだ。
まあいいや。

��時起きしていつもの通勤と同じ電車に乗って東京へ。京浜東北線で赤羽に着いた。
仕事で2度ほど来たことがあるがほとんど記憶がない。
人の流れに乗って荒川の河川敷の大会会場へ行くが、荒川近くの交差点の信号で歩行者が多過ぎて渋滞してしまっていた。もし次ぎ来ることが会ったら違うルートで歩いてこよう。
��:30頃到着。会場では既に人で一杯だが、スタートの10:15迄時間があるのでスペシャライズドの自転車コーナーにトライアスロン用バイク?があったのでまたがらせてもらう。初めてTT用のハンドルバーの自転車に乗った、凄くエアロポジションがとりやすくて感動する。それにトライアスロン用サドルってとても厚みがある、そして重そうだ。
適当にブースの担当の方と話を合わせておく、(すいません)。

着替えを済ませて荷物預かりに荷物を託す。こんなに人が多いのにとてもスムーズに行えた、すばらしい。

さてスタート位置に着く。10:15のウエーブスタート、スタート位置の計測器を通ったときにちゃんと計測が始まるからうれしい。
最初はホントに人が多くて少しペースが上がり気味。3キロ地点迄は5分ちょっとのペースで進んでしまう。でも脚の調子は良いようだから、このまま行けるかも?なんて思ったが、絶対無理だろうと判断し5キロ地点からは意識的にペースを落とす。
天気もよく風もほとんどない。遠くに見える工場の煙突の煙が真上に上っていた。初マラソンとしてはツイてるかもしれない。
ヒマなので周りの人を観察する。ウエアーや靴、装備など。タイツはいている人は意外と少ない。ランパンと長袖アンダーにTシャツの人が多い。なんとかマラソン完走したなどと言うTシャツが多い。それにランニングクラブのシャツの人など。僕はクラブにも入ってないし、完走もしたことないし。。

しかし、河川敷と言うのは本当に平坦で走りやすい。如何に今迄アップダウンの道ばかり走って来たのか。。。
きっと初心者はペースが一定に出来る平坦で練習するのが良いのではないか、と考えた。
河川敷のグラウンドでは少年野球やサッカーをしている輩がおおい。噂には聞いているがお母さん達も炊き出し?的なことで忙しいようだ。
野球初年達が応援してくれていたのがとても嬉しく、走る力になった。ありがとう!!

外環道のしたを潜って登って水門を過ぎると折り返し地点である。このあたりは堤防に登ったり降りたりするくらいのアップダウンがあった。
ちょうど折り返しあたりの河川敷でグライダーのようなものを飛ばしているのが目に入った。つい脇見してしまう。
��5キロ地点までたらっと走っていたがまだ余裕がありそうだったので5分ちょっとくらいにペースアップする。しかし長続きせず18キロ地点あたりで息切れし、5分半をオーバーするようになった。
もう脚が動かなくなる。ヤバい。後一キロ地点でスパートしようなんて考えていたが、最後の1キロが一番辛くてスパートどころではなかった。
ヘトヘト状態でゴール、目標の1時間50分は切れず。
途中でペース上げない方が良かったのかな?

ゴール後はアミノバイタルドリンク2000mgとアミノバイタル6000mg粉末を頂いた。これで疲れを取ってくださいと言うことなのだろう。ありがたい。そうすればまた参加するから、かな。

ゴールすれば会場に用はない。荷物を受け取って銭湯岩の湯に向かう。

初めての「昭和の感じ」(=「時間ですよ」的な銭湯)の銭湯に入れてよかった。番台は若いお姉さんだったのがちょっと恥ずかしかったが、湯がとても熱く、ジャグジー風の泡の出る設備もあったし、竜宮城の壁絵もよかった。最新のスーパー銭湯もいいが、またこういう銭湯に来てみたいと思った。

帰りの赤羽の商店街の中華料理屋でニラレバ定食650円を食べた。リーズナブルな赤羽に好感が持てた。






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