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BRM423千葉(瀬又)400km(10th Anniversary Classic)の完走と感想(その1)

ついにBRM423千葉(瀬又)400kmを完走できた。
これは嬉しい。過去2回挑戦し、一度めは瀬又で心折れて家に帰った。瀬又から家は自転車で十分なのだ。
二度めは瀬又での帰宅誘惑を克服したが、復路の君津のPCで突然の豪雨にやられ、その当時は雨装備もなくコンビニかっぱで対応するも、雨がひどすぎて鴨川でDNFを決心した。
三度めのなんとかと言うが今度こそ完走したい、と密かに考えていた。
雨装備のウエア上下、レインシューズカバー、泥除け前後装着とした。リュクにもレインカバーを用意。万一に揃え、輪行袋も持っていく。
三月はスキーに行ってたり、雨だったり、4月も試験などであまり自転車に乗り込めていなかったことが唯一の心配。
コースは特に問題なし、鹿野山の最後の登りが嫌なのと、三石山にも二度も登らなければいけない。それよりも養老渓谷あたりと、ウグイスライン往復も地味に脚にくるはず。
ということで楽なコースではない。
そして今回は全面で向かい風だったのと、土曜夜からの雨が辛かった。

時間を追って記憶を辿る。
金曜日は早く帰れず、準備も0時過ぎまでかかってしまった。事前の準備が悪い。
土曜は5時起きで食事と準備をして6時に家を出発。途中セブンイレブンに寄っても7時半前にスタート地点の袖ヶ浦に到着できた。
知った顔何名かいる。でも走行中はバラバラになるだろう。
ブリーフィングはクラシックなので特に何もなく。三石山のグレーチングの隙間と落ち葉に気をつけてとのこと。
落ち葉は仕方ないが、隙間は何時までたっても直らない。君津市の土木事務所に言えばいいのか?
装備はこんな感じだ

サドルバッグはTOPEAKの大きいやつ1.8Lくらい?。ハンドルにポーチを取り付けて、食べ物やゴミやハンカチ、ティッシュなどを入れる。
お土産も買うから荷物はリュックに入れる。
輪行袋はシートチューブのボトルケージに入れる。ツールボックスはダウンチューブの下にボトルケージを装着して取り付ける。
ライトはGENTOSのNEX-903Dを二本と、ヘッドライトも同じくGENTOSのHW-999H。これは明るくて便利。
サイコンはGARMINのEDGE510を使う。パイオニアよりも画面が大きいから。

8時ちょうどに車検してスタートする。まずはいい天気。少し南からの向かい風がある。
鹿野山手前でProject-Kの店長が後ろから来たのでついていく。しかし信号の変わり目でついていけず2キロくらいしか一緒に走れなかった。
まあその程度の実力でもあるけど。
鹿野山はマイペースで登る。吠える犬も変わらずいたが、元気が昔ほどなかった。歳をとったのだろう。
マザー牧場からの眺めは少し雲と水蒸気が多く見晴らしはそんなに良くない。

下りは慎重に降りてPC1の更和のセブンイレブン。おにぎり2個買って1つは食べて1つは走りながら食べるためポーチに入れとく。登り坂でゆっくり走るときに頬張る。
志駒で湧き水をボトルに詰めて行く。朝は水汲みの人は誰もいない。
もみじラインとしいたけの登りをやってけて、館山エリアにはいる。
昼前にビンゴバーガー脇を通ったが10人くらい並んでいた。
やや南の向かい風。
木村ピーナッツの落花生ソフトクリームを食べに寄る。ここは空いてて良かった。

サイクリング中のソフトクリームはうまい!
何人かのブルベライダーも来店していた。この店はコース沿いにあるから寄りやすい。
少し走ると海に出てPC2白浜のセブンイレブン。ここに来ると天気も良く暑くなってきた。

ところでここまでは向かい風気味。野島崎から鴨川に抜けるところは追い風かと思いきや単なる横風やや向かいか?という程度。
全然楽にならない。わずかに走るブルベライダーに追いつき追い越すだけをモチベーションに進む。

お昼はどうするか?何も考えていなかったが、Project-Kの皆さんがサイクリングで和田に行き、鯨を食べた旨の記事を見た。
それを思い出し、自分のブルベ初の「グルべ」を敢行することにした。
WAOという道の駅はすぐに見つかった。
まだ新しい建物、レストランは空いていた。天気が良いからテラス席でと思ったが、外はダメそうだったので窓際で鯨の竜田揚げ定食を食べた。
鯨の肉は赤身だが柔らかくて美味しかった。今度は家族で訪れたい。


続く

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