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BRM423千葉(瀬又)400km(10th Anniversary Classic)の完走と感想(その2)

和田の道の駅のレストランでクジラの竜田揚げ定食1300円を頂き大変お腹は満足した。ボトルの水が切れていたので、店のお兄さんに水の補充をお願いしたら快く氷水を満たしてくれた。ありがたい。
外のテラスでは、都会からやってきた夫婦サイクリストが休憩していた。(ラファを着てたから都会から来た、と判断した。)
こうして都会の人が田舎に来て自転車乗りながら風景を楽しんだり食を楽しんだりするのは誠によろしい趣味であると思う。特に自転車は身体がむき出しなので全身で空気を感じる事ができる。外の空気に直接触れるのは動物としてもとても良いことだと思うし、何よりお金も田舎に落としていってくれるのが良い。
ブルベでもゴールを急ぐのではなく、制限時間をうまく使って楽しむことをこれから心掛けたい。

気を取り直して先に進む。まだ100キロちょっとしか来てない。折り返しの瀬又はまだ遠い。
微妙な横風受けながら鴨川から鴨川有料道路を登る。まだ元気であるが先の事を考え200w以下の出力になるように力をセーブする。坂を登りきるとPC3の君津のミニストップに到着。
補給食の購入に迷いなぜか

丸ごとバナナになった。
まあおいしかった。子供の頃、家の向かいのお菓子屋さんで買って食べた事を思い出した。長寿商品だなと感心。
次は最初の三石山アタック。こちら側からの登りは斜度が緩いので問題ない。山門前で止まって、手をあわせる。
下りは慎重に下りて養老渓谷を目指す。途中、筒森の集落を抜けるところなど、人がいれば、こんにちはと挨拶する。100%挨拶を返してくれる。
都会のオフィスではどうか?挨拶運動なるものをしているが、未だにできていない。大の大人が挨拶できないってどういう事?自分も含め不思議なのである。
そろそろ日も傾いて来た。
まずは原田のセブンイレブンで休憩を入れる。瀬又迄は距離20キロ弱。いつもの朝練コースだが、今は180キロ走った後だ。いつものように走れないし、頑張ったら後が続かない。斜度がキツイところは10キロ/hを切ったとしてもゆっくり登る。
しばし我慢の走りで瀬又のPC4に到着。ここで折り返しだ。
少し長めに休憩し、カップ麺を食べる。つまり寒いってことだ。

まだ雨は落ちてこないが、予報では0時ごろ降りそう。雨を避けてここでDNF家に帰るのか?という思いが頭をよぎったが、半分やっと走ったんだから、勿体無いと思い直し復路をいくことを決意した。
すっかり陽も落ちて真っ暗になったのでヘッドライトを装着した。
道行くブルベライダーのテールランプが点滅しているのが多いことに気づいた。
ブルベの規定にはこうある

尾灯 : 赤色で点灯モードのもの(点滅不可)

自転車本体に固定されているもの、または後続車両への視認性確保の為に、

サドルバックなど“自転車本体に固定されているもの”

に確実に取り付けられている場合は認める。

(AJ 千葉規定)

ヘルメット: 後部に尾灯を装備すること。

ということで、尾灯は点灯であり点滅は規定違反である。
道行くライダーに「尾灯が点滅してますよ」というと、あっ、と言って停車して点灯モードに直してくれる。
今回は四人くらいに声をかけた。こんなに多くの人が守っていないのは今までないよ。
最近東京の方のブルベでは点滅でも良しとしているところがあるのだろうか?それにしても千葉フルべの規定は読んでほしい。というか道路交通法でそう決まっているんだよね。
中には声かけた私がいないところでは点滅モードに戻している確信犯もいたようだ。。。注意された時、された人の前だけ直すっていうのはどういうことか。大人のやることなのかと思ってしまった。
まあいい。

復路も原田のセブンイレブンにて小休憩した。
養老渓谷あたりに差し掛かったところで雨が本格的に降ってきた。道ばたの街灯の下で雨装備に換装した。上下のモンベルレインウエアにレインシューズカバー、これで完璧に雨から身体を守ってくれる。
脇の下のジッパーを開ければ涼しくて快適。雨でも全く苦にならなかった。
苦になったのは三石山の登りであった。今までにないのろさで登坂完了し降ってPC5の君津ミニストップに到着する。
眠い。
ここでもカップめんを食べて身体を温めて少し仮眠することにした。
しばらく御休みなさい。。

続く

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