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江田島訪問

島根帰省のついでにいつも広島を訪問する。
今年の帰省も広島経由とした。
いつもどおり高速バスで三刀屋から広島へ移動。
荷物をホテルに預けて息子と二人でタクシーで宇品港へ急ぐ。
カミサンと娘は本通りをぶらぶらしたそうだ。

宇品から高速船に乗船。大人1030円、子供520円
小用港からバスで大人150+子供80円で第一術科学校へ。
時間があったので「ふるさと交流館」と「学びの館」を見学する。
学びの館では殿様の所蔵品や屏風など貴重な品々を見せていただいた。
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これは野点の道具

「ふるさと交流館」で見慣れないドリンクを発見。「元気バッチリ2」 120円
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なかなかいける味です。江田島に行ったらぜひ飲むべし。

さらにサイクリングマップを発見
江田島はサイクリスト天国?なのか。
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「ふるさと交流館」と「学びの館」どちらでも係の方にいろいろ声をかけていただいて良くして頂きました。どうもありがとうございました。

二時半に学校の入り口で名前と住所を書いて受付し、見学者である事を示すバッチを受けとる。
15時の見学ガイドツアー開始時刻まではお土産屋を冷やかしで覗いたり広間で放映しているvideoをみる。見学者は40人くらいで、意外と多い。
見学は無料。案内は尾崎さんという海自OBの方

外に出て最初に古鷹山の説明を聞く。生徒は古鷹山に18分くらいで登り切ってしまうらしい。

次に講堂。大正時代のもの。
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床が石敷きで声がすごく響き渡る。
壇上には成績優秀者しか登れないとのこと


レンガの校舎は明治時代のもの。レンガは特注の高級品で表面は非常に滑らかである。
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遠くに戦艦陸奥の四番砲塔が見える。
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最後は教育参考館内部を見学する。ここだけは特攻隊の遺書など個人の情報が存在するため撮影は禁止。
赤い絨毯の階段を登り(実際は絨毯の上に敷かれた白いシートの上を歩く)二階を見学。最初は林子平を初めとする我が国の軍隊を育てた人物の紹介をしながら歴史を見て行く。
日清戦争、日露戦争、東郷元帥、大東亜戦争では、山本元帥など。東大よりも入るのが難しいとされる海軍兵学校の卒業生から山本権兵衛ほか六名の首相が生まれているとのこと。僕の学校の先輩では一人だけだ。。
宇垣纒中将が記した戦藻録も展示してあった。
一階に降りると特攻関係の展示となる。特攻に出撃した方の全名簿と共に、たくさんの遺書が展示されている。漢字カナ混じりの文章は現代人の僕にはとても読みにくいが、一生懸命読んでいると、その頃の若者の心持ちが見えてくる。
振り返って今の自分たちの行いを考えるとどうなのか?とも思う。

資料館に見学が終わると見学ツアーは終了、解散となる。
資料館の脇には特殊潜航艇が展示してある。ハワイに突入した五艇のうちの一艇だ。目の前の小さな潜水艦に中で66年前に二名の優秀な若者が戦死したのだ。そういうものを展示することで戦争を身近に感じる事が大切なんだろうなと思う。
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バスの時間まで土産物屋で時間を潰す。ポプラが学校内の売店として入り口近くにあった。そこにも多少お土産的なものも置いてある。

満員のバスに揺られ再び小用にもどり、来た時と同じ様に宇品まで高速船で戻った。

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夜はいつものみっちゃんでお好み焼き。
おみやげは藤井屋のもみじまんじゅうを買う。







コメント

  1. ねこじまん2011年8月21日 16:50

     元気バッチリⅡ!飲んでみたいです。
     陸奥の大砲もすごい。

    返信削除

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