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初めての台湾旅行(その1)

家族旅行で初めて台湾に行ってきた。何回かに分けて旅行の記録を書いておく。

台湾旅行出発前の夜、iMacが起動できなくなった。ブート中にエラーが出て停止してしまう。エラーメッセージが見えないので動画を撮ってやっとDiskFullということがわかった。
一度寝て三時すぎに起きてマックの復旧。
起動Diskをいれてリカバー領域で起動する。タイムカプセルのバックアップから戻す事にした。しかしタイムカプセルが初めて役に立った。
しかし、ディスクに書くのに二時間ほどかかるようで結局出発までに復元終わらず。

それでは台湾旅行に出発。タクシーで最寄り駅のリムジンバスのバス停まで。七時五分の羽田行きリムジンバスに乗車。1時間位で渋滞もなく到着。国際線は初めてだ。

羽田ではゆっくりっと新しい国際線のターミナルを見物する。カミさんはおしゃれな風呂敷を買っていた。子供たちはスロットカーで遊ぶ。僕もやってみたが意外とアクセルワークが難しく、すぐコースアウトしてしまう。ゆっくりだとタイムは出ないし、難しいな。
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飛行機は10時50分定刻に出発。エバー航空。このエバー航空は20周年らしく、その歩みを記した資料が各席に配置してあった。そうなんだ、海運会社のエバークリーン関連会社だったんだ、と初めて知った。機内食は普通、デザートがハーゲンダッツの抹茶アイスクリームが出たのがうれしかった(もちろんエコノミークラス)。台風のせいか予定より30分早く台北松山空港に到着。

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おお、自転車だ。MTBだけども。

タクシーをつかまえてホテルに向かう。片言中国語、英語(台湾語?)でなんとかなる。パックツアーではないので自分でやんないと。
タクシーの運転手は走りながら片言の日本語を披露してくれた。「わたしウンチャン」とか。(ウンチャンは日本統治時代に日本語が台湾語化したらしい)
それからなぜかバナナを人数分くれた。歓迎の気持ちだろうか、ありがたい。
この旅行を通じて言える事だが、旅行者に非常に親切にしてくれる人が台湾には多い。事前に聞いていたけど全くその通りだと思った。

予約していた(日本語がバリバリ通じる)国賓大飯店にチェックイン後、家族は部屋で休憩してもらう。僕は単独でホテル近くの中華電信に歩いていく。来る途中のタクシーで見つけたのだ。
中華電信の入り口を入ると係のおじさんが案内してくれた。言葉は判らないが、番号札を取って待てとのこと。(おじさんの態度を含め)中華電信の雰囲気はなんだかNTTっぽいなと思った。(あとで調べたらやっぱり台湾版NTTだった)
番号札持ってすこし待つ。やっと順番来た。方事の英語で窓口のお姉さん(謝さんというカワイイ人)にモバイルsimカードをお願いする。パスポートコピーしたり免許証コピーしたり、いろいろ資料に署名して、最後になんだかおかしいと気づき、携帯電話ではない事を伝える。失敗した、僕の伝え方が悪かったのか?謝さん、お手数かけてすみません。
後ろにいたスーパーバイザーのおばさんに謝さんが相談している。何してるのか言葉がわからないからじっと待つ。
謝さんがデスクの電話をかけ始めた。かわって電話に出ろという(もちろんジェスチャーで)。電話の向こうは日本語を話せる若そうな声の男性だった。その男性を間にいれてやっとこちらの意図が伝わった。3G回線使い放題を三日間(72時間後の日が終わるまで使えるので実質は4日間つかえる)で契約。250NT、千円しないぞ。安ーい。
結局小一時間かかってしまった。
光モバイルのルーターのイーモバのカードと交換してPINなどを設定し無事開通。
これで台湾でもインターネットが使える。謝さん、シェシェ。

ホテルの部屋に急いで走って戻って総統府見学にいく準備をした。

続く。。。










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