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2013BRM629スーパーアタック奥志賀を最終走者で完走(その1)

題名のとおり、この週末に開催された2013BRM629スーパーアタック奥志賀は最終走者でゴールし無事完走できた。名の通りハードなコースであったし、後半は雨にも悩まされた。しかし無事にトラブルもなく走行できた。
【出発までの準備など】
AJ埼玉開催のイベントには初参加、というか千葉以外のブルベは初めてであった。不安はあったがコマ図が提供されるなど良いことはあった。(ゴール後の温かいスープサービスなどは千葉のほうが充実している)スタートが6時なので当日輪行は無理、クルマも考えたが、帰りのドライブが心配なので前日埼玉入りすることにした。よくよく調べると、スタート地点のニューサンピア越生に3000円で素泊まり宿泊できるらしいことがわかった。相部屋であるが同じブルベ参加者なので問題はない。むしろ情報交換など出来るかもしれない。最初は一人素泊まり7千円で予約したが、相部屋3000円に予約変更した。
旅の準備は前週末から始めて前日には充電含め荷物を用意できた。
金曜日は仕事を終えてから帰宅ー移動すると到着が0時前になってしまうことが判った。4時過ぎには起きないといけないので、到着、風呂、就寝を考えると前泊の意味があまりない。400キロは十分な睡眠が不可欠であると考えているので、ここは思い切って金曜日は午後休暇を取ることにした。結果、準備含め余裕ができた。
睡眠は前日だけでなく、1週間前から十分にとっておくことが望ましいが、仕事の都合、飲み会などもあり前日以前の睡眠について今回は十分とは言えなかった。

【主な装備】
志賀高原など長野の遠方迄行くこと、またDNFの可能性が、するつもりはないが、高いことから輪行袋(オーストリッチSL-100)は持っていくことにした。また、一度も走ったことがない道路ばかりなので舗装などが不明であった。万全を期して替えタイヤ1本を持っていくことにした。
また、ブルベではリュックは使っていなかったが、先日シマノの良さげなリュクを調達した。本来は600キロ用に買ってみたものだがこの400キロで使い勝手を試すことにした。結果、使い勝手には優れたところがあることが判ったし、意外と軽量でライディングに違和感もなく、体にしっかりとホールド出来るためダンシングも問題なし。汗で背中が暑くなることもなかったし、今回のように寒いときは背中が暖かくて助かった。10リットルの容量だが、リュックの生地が伸びる性質があり、荷物を詰め込みやすかった。ジッパーが両サイドに付いているのもリュック下部のモノの取り出しやすさが良い。そのかわり防水ではないが、今回の雨くらいなら全く問題はなかった。本格的な防水のためスプレーをしておくと良いと思う。
ライトは真っ暗なポイントがいくつかあるとの情報を得ていたので4灯とした。
すべてGENTOS、防水であり明るいから採用している。そのかわり電池が持たないが替え電池を持っていくことで対応した。
■主灯: SF-353X3、補助灯:前方:閃 SG-305,前+側方SG-325×2個、ヘッドライト:パトリオGP-4BK
■後方:TL-LD155-R、TL-LD170-R、IPF(アイピーエフ) 自転車用LEDテールライト X-TAIL M TYPE CYT-02(新規)、SL-LD100-R(ヘルメット)
IPFの製品は防水であることが決め手で選んだ。この製品は外国製に比べやや暗いが、後ろについたライダーがまぶしく感じないので良い。他社外国製のは明る過ぎで、後ろについてしまったときにまぶしくて困ったことがあったのでそのように判断した。
■ボトル:涼しいので1本とした。CAMELBAK PODIUM 710ml
■タイヤチューブ:念のため二本
■GPS:GARMIN 510とモバイルブースター、Panasonic USBモバイル電源 リチウムイオン 5,400mAh 黒 QE-QL201X-K
ガーミンは5月に510を初導入し、朝練などで使い方を学んで来た。ブルベで初めて使用するにあたり、電池がどのくらい持つのか判らなかったので、補助電源も装備した。結果、garmin 510単体では200キロ程度の仕様で電池残量が30パーセントくらいであることが判った。ハートレートとスピード/ケイデンスセンサー作動、bluetoothは電池食うし、用途がないのでオフとした状態である。200キロ迄は補助電源無しで行けることが判った。

走行記録についてはこの後で。。。

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